JAIA設立50周年記念特別展示

その他 2015年2月9日

~日本が出会った名車たち~

当組合は2015年2月3日(火)から5日(木)までの3日間、第35回輸入車試乗会の期間中、会場の大磯プリンスホテルで「JAIA設立50周年記念特別展示」を実施、輸入車の50年間の歴史を彩った代表的モデル13台を展示しました。

会場では、展示テーマを4つ(輸入車が憧れだった時代、輸入車メジャープレーヤーを目指して、ブランドバリューへの回帰、エポックメイキングな輸入車たち)に分け、パネル展示とともに、50年の歴史を彩った代表的なモデルを展示しました。

輸入車が憧れだった時代

当組合が設立された1965年は、実質GNPの年平均成長率が9.4%という高度成長の真っ只中でした。新・三種の神器となったカラーテレビ、クーラー、カーの頭文字から、3C時代の到来が喧伝されていました。
とは言うものの、乗用車の世帯普及率はまだ10%で、この年には59万台弱の乗用車が新規登録されましたが、輸入車の台数は1万3000台に過ぎませんでした。
翌1966年には、初代サニーとカローラが登場し、後に「マイカー元年」と呼ばれますが、カローラ1100デラックスの発売当時の価格は49万5000円。大卒初任給(約2万4000円)の20か月分以上で、今なら400万円前後に相当します。それに対して、輸入車で最もポピュラーだったフォルクスワーゲン・ビートルは約100万円。カローラのおよそ2倍で、日本車ならばクラウンやセドリックの高級グレードが買える金額でした。絶対的にも相対的にも高価だった輸入車は、ごく一部の裕福な好事家だけのもので、一般的には夢のまた夢でした。

■フォルクスワーゲン ビートル(1953年)

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国民車を意味する車名のとおり、世界中に浸透したフェルディナンド・ポルシェ博士設計の小型実用車です。堅牢な車体の後部に空冷フラット4エンジンを搭載し、信頼性や耐久性は折り紙付きです。半世紀以上にわたる累計生産台数2,153万台は、単一車種としては空前絶後です。

■キャデラック ド・ヴィル・コンバーチブル(1967年)

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世界に冠たるGMの最高級車であり、アメリカの富と権力の象徴だったキャデラック。全長5.7m、全幅2mの巨大なボディに、7リッターV8エンジンを搭載し、エアコンや各種パワー装置をフル装備。最廉価モデルでも5,000ドル以上しましたが、年間20万台近く売れていました。

■メルセデス・ベンツ 600(1972年)

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メルセデスの威信をかけて登場した、当時最も速く、安全かつ豪華な世界最大級のサルーン/リムジンです。長大なボディにメルセデスが誇る最先端の技術を満載。戦前のグローサー・メルセデスの再来と呼ばれ、世界中の王侯貴族やVIPに愛用されました。

■ジャガー XJ(1972年)

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英国の伝統とエレガンスとを体現した高級かつ高性能サルーンです。ジャガーの名にふさわしいスリークな姿、絶妙な乗り心地とスポーティな操縦性とを両立させたシャシー性能、優れた静粛性などによって高い評価を獲得し、高級サルーンの新たなスタンダードを築きました。

輸入車メジャープレーヤーを目指して

1960年代を通じて、日本ではモータリゼーションが急速に進みましたが、1970年代に入ると安全や公害問題など、自動車社会が抱える負の部分が表面化しました。さらに石油危機という予期せぬ事態まで勃発し、高性能車や大型車に対する風当たりが強くなり、輸入車の人気はそれまでのアメリカ車から西ドイツ車(当時)を中心とする欧州車へ移行しました。1970年代に始まった世界一厳しい排ガス規制によって、輸入される銘柄や車種は縮小したものの、1978年に実施された輸入関税の撤廃と円高の恩恵もあり、輸入台数は徐々に増加していきました。1980年代前半には再び減少しましたが、後半はバブル景気の勢いで年間登録台数は毎年前年比30%以上も伸び、1985年の約5万台が1990年には約22万台と、4倍以上にまで増えました。限られた富裕層からそれ以外へと大幅に広がった市場をコントロールすべく、海外メーカーが相次いで日本法人を設立したり、国内メーカーと提携して新たな販売網を作るなど、販売方法にも変化が現れました。

■フォルクスワーゲン ゴルフE(1980年)

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ジウジアーロの手になる簡潔ながら機能美あふれるコンパクトなボディに、5人の乗客に充分な居住空間と荷室を確保したパッケージング、優れた走行性と経済性でFWDハッチバックの代名詞となった傑作です。歴代モデルが小型車のベンチマークであり続けています。

■BMW 320i(1987年)

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扱いやすいコンパクトなサイズに高品質でスポーティなBMWの魅力を凝縮したモデルです。2/4ドアセダンからカブリオレ、ワゴン、ホモロゲーションモデルのM3まで車種も豊富で、日本ではバブル期に”六本木のカローラ”の異名をとるほどのヒット作となりました。

■ポルシェ 930ターボ(1989)

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北米カンナム選手権を制覇したターボ技術を導入したポルシェ発の市販ターボ車です。太いタイヤを収めるため拡幅された迫力たっぷりのボディを最高速度250km/hまで引っ張る高性能はもとより、エアコンなどの快適装備も充実し、スポーツカーの新次元を切り開きました。

■メルセデス・ベンツ 190E(1993年)

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日本の5ナンバー規格に収まるボディサイズを除いては、スタイリング、品質、走りなど、すべてが上級モデルと同じメルセデス基準で作られたコンパクトセダンです。日本では”小ベンツ”と俗称され、ライバルのBMW3シリーズとセールスを競い合いました。

■プジョー 205GTI(1993年)

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コンパクトでチャーミングなボディ、SOHCながらレスポンスの鋭いエンジンと俊敏なハンドリングがもたらす痛快な走りが魅力のホットハッチです。堅実だが地味というプジョーのイメージを塗り替え、日本においてブランドの知名度向上に大きな役割を果たしました。

■ボルボ 850ワゴン(1995)

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世界初の横置き直5エンジンによるFWDに転換して登場した新世代ボルボの尖兵です。スクエアなフォルムを残しつつ格段にスタイリッシュになり、先代となる240や上級の740/760から始まったエステートの人気がブレークし、ワゴンブームを巻き起こしました。

ブランドバリューへの回帰

バブル崩壊による市場の急速な冷え込み、20世紀末から始まった世界的規模での自動車産業の再編、リーマンショックに端を発する世界同時不況の深刻な影響。次から次へと襲うそうした荒波をかい潜りながら、自動車メーカーはますます規制が厳しくなる環境および安全対策に開発を注力せざるを得なくなりました。その結果、ハイブリッド車や電気自動車の商品化、燃費のさらなる改善が促進され、歩行者保護や運転支援機能などの安全技術も進化しました。そうした社会的責任を履行する一方で、自動車メーカーはスピード、運転の楽しさやスタイルの美しさといった自動車の根源的な魅力の追求を忘れてはいませんでした。その方向で強みを発揮したのは、やはりモータースポーツで活躍した歴史と伝統を持つブランドです。現代の技術と過去の遺産を組み合わせ、新たなブランドバリューを提示してみせたのでした。

■アルファ ロメオ 147(2003)

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1940年代末の6C2500ヴィラデステから引用したといわれるクラシカルな顔つきを持ったスタイリッシュ・ハッチバックです。車体剛性や仕上げはベースとなった上級の156を凌ぐほどで、アルファロメオが自ら謳っていたプレミアム・コンパクトとして成功を収めました。

■アウディ TT(2005)

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その後のアウディはもちろん、他社のデザインにまで影響を与えた円をモチーフとしたバウハウス風の独特なスタイリングのクーペ/ロードスターです。ターボエンジンとクワトロシステムによる安定感のある走りで、新たなジャーマンスポーツ像を提示しました。

エポックメイキングな輸入車たち

20世紀で最も偉大な量産乗用車を選ぶ「カー・オブ・ザ・センチュリー」の選考が1996年から1999年にかけて実施されました。世界32か国、約130名の自動車ジャーナリストによる厳密な審査の結果、栄えある1位に選ばれたのはT型フォードでした。そして2位はミニ、3位はシトロエンDSでした。1,500万台という、フォルクスワーゲン・ビートルに次ぐ単一車種の量産記録を早くも1920年代に打ち立てたT型フォードがモータリゼーションの最大の功労者であることに疑問を挟む余地はありません。2位のミニは、小型車設計に革命をもたらした小さな巨人です。3位のシトロエンDSはユニークな中身もさることながら、デビューから60年を経た今なお未来的に見えるのが驚異的です。こうしたエポックメイキングなモデルに共通するのは、企画開発者の独創的な発想と強固な意志から生まれた骨太なコンセプトです。それが時代を動かし、やがては時代を超越したのです。

■シトロエン DS21パラス(1969)

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宇宙船を思わせる前衛的なボディに、オイルと窒素ガスによるハイドロニューマティック・サスペンションなどの特異な機能を詰め込んだアッパーミドルサルーンです。凝った設計ながら20年間に140万台以上が作られ、タクシーや特装車のベースカーなどにも使われました。

 

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