インタビュートップ > Vol.10 ポルシェジャパン株式会社 代表取締役社長 七五三木 敏幸

ポルシェジャパン株式会社 代表取締役社長 七五三木 敏幸

ポルシェジャパンの歴史は1995年に遡る。ドイツ ポルシェAG社の100%出資子会社「ポルシェ自動車ジャパン株式会社」として設立。2年後の1997年に社名をポルシェ ジャパンへと変更。それまで正規輸入元であったミツワ自動車から輸入権の譲渡を受け、1998年より営業を開始する。1998年には1,487台だったポルシェの国内新車登録台数は、2014年には過去最高となる5,385台にまで成長を遂げている。昨年2代目の社長に就任した七五三木 敏幸氏にこれからのポルシェジャパンの目指すところについて話を伺う。

ポルシェジャパン株式会社 代表取締役社長
七五三木 敏幸(しめぎ としゆき)
1958年生まれ。群馬県出身。一橋大学卒業後、群馬銀行へ入社。1989 年にメルセデス・ベンツ日本に移り、クライスラーグループの営業部長を経験したのち、2009 年 にはクライスラー日本の代表取締役社長兼CEOに就任。2012 年 フィアット グループ オートモービルズ ジャパンとの経営統合後にはフィアット クライスラー ジャパンの代表取締役営業本部長を務めた。2014年2月より現職に。
インタビュアー:カーグラフィック代表取締役社長 加藤 哲也

“需要より1台少なく”から、欲しい方全員に届く体制へ

加藤 七五三木さんの自動車業界のスタートはメルセデスからと伺っていますが、社会人としてのキャリアもそこがスタートですか?

七五三木 いえ、実は銀行員だったんです。

加藤 えぇ?、それは意外ですねえ。やはり昔からクルマがお好きだった?

七五三木 好きでしたね。ゴルフのポカールレースが好きで、毎週末、何かしらモータースポーツイベントを見に行ったり、当時住んでいた高崎から筑波サーキットまでよく通いました。

加藤 ご自身ではレースは出られなかったのですか?

七五三木 私自身はチューニングしたシロッコに乗っていて、ホームグラウンドは碓氷峠の旧道で183個のカーブを攻めたり、御代田を超えて、浅間へ抜けてとやっていると夜が明けるわけです。

加藤 それで朝からまた会社へいくと。本当にお好きだったんですねえ(笑)。そういえば、先日の浅間ヒルクライムもポルシェジャパンはスポンサードされていましたけど、七五三木さんのホームグラウンドってことで、ホームタウンディシジョンだったという訳じゃないんですか(笑)。

七五三木 いえいえ、それが理由ってわけじゃないですよ(笑)。ただ、もう30年以上も前の話ですけど、その浅間や高峰を走っていた頃に、ポルシェ911に追い抜かれたことがあったんです。後ろから見ていると、コーナーですっとテールの向きが変わって、ぐっとリアにトラクションがかかって立ち上がっていくのが分かるわけです。もちろん知識としてはポルシェのRR(リアエンジン/リアドライブ)というものを知っていましたけど、そのダイナミックな動きをライヴで見たのは初めてで、すごく感動したのを覚えています。

加藤 それがよもや30年後に、ご自身がポルシェジャパンの社長になっているとは・・・

七五三木 思いもよりませんでしたねえ(笑)。ですから浅間ヒルクライムでのドライブはとても感慨深かった。2日目は、以前はスーパーGTでもポルシェに乗っていたプロドライバーの木下みつひろさんが運転するポルシェの助手席に同乗させていただいて、これまでいろんな人の横に乗る機会がありましたが、それはもう1、2を争う素晴らしい体験でした。車体の左右にセンサーがついているんじゃないかと思うくらい側溝まで数cmというぎりぎりのラインをまったくためらいなく、しかもドライブする姿勢にはまったく力みがない。ああいう感覚っていうのは天性のものなんでしょうねえ。

加藤 たしか彼も地元の長野県の出身で、やはり峠道の走り方をよく知っているのだと思います。そういえば、それでどうして地元の銀行から自動車業界に転職されたのですか?

七五三木 当時の銀行は土曜も休みじゃなくいわゆる半ドンで、かなりタフな世界でしたし、クルマ好きなこともあって頭の片隅では転職を考えていたんです。仲人もしていただいた当時の支店長に叱られるのを覚悟で相談してみたら、「自分の意志で選んで自分の好きなことをやれ。そうすれば努力も苦にならない。今からでも遅くない」と言ってくださった。当時は中途採用もありませんでしたから、数社に手紙を書いて送って、会ってくれたのがメルセデス・ベンツ日本だったというわけなんです。結局その銀行には7年間いて、1989年、30歳のときに自動車業界へ転職しました。

加藤 なるほど。運命の出会いだったんですねえ。しかし、七五三木さんがご出身の群馬県って自動車文化が根付いているというか、自動車リテラシーの高いイメージがあります。実は私のいとこが群馬にいて、その彼にものすごく影響を受けました。音楽もファッションもクルマも、それこそカーグラフィックの存在も彼におそわった。

七五三木 そうですね、私のまわりも走ることが好きな人ばかりで、クルマは生活の一部というよりは、人生そのものという人が多かった。

加藤 で、七五三木さんもその道を選ばれたということですね(笑)。

七五三木 そうなっちゃいましたねえ(笑)。

加藤 メルセデスに入社してまず何を担当されたのですか。

七五三木 最初は拠点開拓で、シュテルン店を作ったり、とにかく販売店の知り合いが増えました。販売店の仕組み、仕事の内容を知ることで、まずクルマを売ることのメカニズムを知ることができた。それがポルシェにきたいまもとても役立っていますね。

加藤 クライスラーとの合併後は、七五三木さんはクライスラーブランドを担当されていて、その後フィアットとの合併と波瀾万丈だったようにお見受けしましたが(笑)、そこで得た教訓のようなものはおありでしょうか?

七五三木 図らずも合併を二度も経験していますが(笑)、どうしてもそれにつきまとうのが、どちらのブランドが上なのか下なのかという話になりがちです。でも、その経験から得たのは、クライスラーであれ、ジープであれ、フィアットであれ、そのブランドに上下はなくて、それぞれのブランドにプライドをもって日本のお客様に紹介していく、これが一番大切なことです。ポジティブな気持ちでやればうまくいくよと、そう自分へも含めて言い続けていました。

加藤 七五三木さんのお名前をこの業界で耳にするようになったのは、ジープの販売を軌道にのせて功績をあげられた頃だと記憶していますが、それはユーザーだけでなく、ブランドに対するセールスする側のモチベートも重要だということですね。そういう意味では、ポルシェもフォルクスワーゲングループの一員ですが、ポルシェはポルシェの道をいくというか、あまりほかのブランドのことを意識しなくていいポジションに見えますが。

七五三木 ありがたいことに、そうですね。実は、ジープとポルシェには少し似ているところがあって、それはヘリテイジがあって、わたしたちなどよりもそのクルマに関する知識をおもちのお客様がたくさんいらっしゃる。そういうお客様によって支えられているブランドなんですね。

加藤 たしかにいずれも熱狂的なファンがいて、セールスより詳しい人もざらにいますね。それだけ人気があるだけに販売上の、本国からのプレッシャーやハードルは高いのではないかと想像しますけど、七五三木さんなりの販売戦略はおありでしょうか?

七五三木 これまでポルシェジャパンでは長年、“需要よりは1台少なく”というコンセプトで販売してきました。マーケットに飢餓感を与えることで、ブランドを維持し成長し続けてきたわけですが、生産体制も増えていますし、これからは“欲しい方には全員に”お渡ししたい。もちろん供給過多にするつもりはありません。ただ、自分に置き換えても、あの高峰で追い抜かれていつかは乗りたいと憧れていたポルシェを、ようやく手にする準備ができて販売店に行ったら、いまはこれだけしかないんでと断られたとするなら、あまりにも残念じゃないですか。それは忍びない。

加藤 そういえば、先日ケイマンGT4が発表されて、日本割り当て分があっという間に売り切れてしまったのを、これから追加されるという話を耳にしました。まさにそういうことですね。

七五三木 お待ちいただくお客様には大変申し訳ないのですが、できるだけ欲しい方全員に届けられるように本国と交渉しています。4月の中旬から週に3回くらいはドイツ本社とビデオ会議をやって、販売企画担当ももうへろへろになっていますけど(笑)。

加藤 それは凄いことですねえ。特にケイマンGT4のような特別なモデルは、これまでは割り当て台数が売れたら完売が通例でしたよね。

七五三木 やはりドイツ本社への意思表示が大事なようで、日本は望んでいるお客様全員にお渡ししたい、これからそういうポリシーでやっていくんだというと、彼らも扉をしめることなくきちんと話を聞いてくれて、じゃあ、ああしよう、こうしようと議論になるわけです。

ブランドを守ることもそうですが、私の仕事は日本のポルシェが好きなお客様が望む製品を、満足とともにお届けすること、そして喜んでいただくこと。それが最大のミッションです。そのためには、例えば在庫の効率を上げれば、トータルとしてこちらの生産もできるよねという改善は常に続けていかなければいけないと考えています。

加藤 ある程度リスクをとってコミットしていくと。

七五三木 もちろんそうです。本社に対して日本は素晴らしいマーケットで投資に値するんだと、日本の要求に答えれば世界中のお客さんの満足度もあがって、結果的に台数も出たと、それがまた日本のお客様にもメリットになって帰ってくる、そういう循環を生み出していかなければなりません。

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