ランボルギーニ ジャパン カントリー マネージャー エジナルド・ベルトリ
日本におけるランボルギーニの歴史は1968年、ミウラの時代に輸入販売が始まる。そして、1999年にランボルギーニ本社がフォルクスワーゲングループのアウディ傘下となったことを契機に、2001年にランボルギーニ ジャパンが設立された。2005年からは現在のステファン・ヴィンケルマンCEO体制となり躍進を続けるランボルギーニの日本市場の舵取りを託されたエジナルド・ベルトリ氏に話を伺う。
エジナルド・ベルトリ
1967年生まれ。イタリア・パドヴァ出身。ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学にて経営学学位を取得。フィアット・パワートレイン・テクノロジーズ社やコングスベルグ・ オートモーティブ社、インターパンプ・グループS.p.A.等で管理職を歴任。イヴェコ・モータース上海支社で中国市場に関する経験を積む。2008年アウトモビリ・ランボルギーニへ移籍し中国のカントリー マネージャーに就任。2014年10月よりオセアニア地域全般のカントリーマネージャーとなり現在に至る。
日本において40年以上の歴史があり、そしてたくさんファンがいます。
加藤 ベルトリさんはイタリアのパドヴァ出身ということですが、ということは元F1ドライバーのリカルド・パトレーゼと同じ出身地ですね。
ベルトリ そうです。とても有名で、地元では彼のことを知らない人はいないですね。お会いになったことがあるのですか?
加藤 先日、グッドウッドでお会いしました。ところでベルトリさんもやはりクルマがお好きで、ずっと自動車業界でキャリアを積まれてきたのですか?
ベルトリ そうです。フィアットグループのパワートレインの開発、生産を手掛けるフィアット・パワートレイン・テクノロジーズをはじめ、これまでずっと自動車関連企業で働いてきました。そうした中でイタリアをはじめ、アメリカそして中国に赴任する機会があり、2008年にランボルギーニに移ってからは、まず中国市場を担当していました。
加藤 ランボルギーニにとって中国は新たなマーケットだと思いますが、苦労はありませんでしたか?
ベルトリ 着任後すぐにリーマンショックが起きて、正直に言うとこれまでのキャリアの中でもっとも大変な時期でもありました。しかし、中国は急成長を遂げている時期でもありましたし、2009年の終盤には業績も回復。2010年にはそれまでを大幅に上回る200台以上の車両を販売し、ラグジュアリースポーツカーマーケットで23%のシェアを獲得することができました。
加藤 日本にいらしてから、まだ間もないようですが日本の印象はいかがですか?
ベルトリ ランボルギーニは日本ではすでに40年以上の歴史があります。成熟マーケットでブランドの認知度も高い。ただその一方で、まだ開拓されていない市場というか、ポテンシャルがあると感じています。
加藤 ここ数年は日本でも販売台数が順調に伸びていますが、その理由をどのように分析されていますか?
ベルトリ 日本市場においては、昨年は187台、今年はおそらくその倍近いセールスを達成する見込みです。今年はウラカンやアヴェンタドールSVといったニューモデルがありましたから、たくさんのマーケティングイベントやテストドライブイベントなどを通じて、新しいランボルギーニの魅力を伝える活動をしてきました。また、青山や名古屋にも新たなショールームをオープンしましたし、新しいディーラーネットワークによって、これまではなかった新たな顧客との接点も生まれています。そういった成果が数字に現れているのではないかと思います。
加藤 ランボルギーニは、フォルクスワーゲングループに入って飛躍的にプロダクトのクオリティが上がったように思います。その点はどのように見られていますか?
ベルトリ サプライヤーの選定や流通、インスペクションに関する工程などスケールメリットがたくさんあります。ただし、ランボルギーニは独立した会社として意思決定が行われていますし、今でも売上の20%以上を開発に投資しています。ですから大規模だからできることと、そして独自開発ゆえにできること、それぞれの面でのクオリティが高まっているということなのです。
加藤 ステファン・ヴィンケルマンCEOはまるでイタリア人みたいなドイツ人の社長で、ランボルギーニはドイツ企業のグループでありながら、プロダクトはきっちりとイタリアらしさをキープしている。そこがすごくユニークですよね。
ベルトリ たしかに、いいミックスですよね(笑)。ランボルギーニは先見性のある最新のテクノロジーを用いたカッティング・エッジ(最先端)な存在であることをブランドモットーにしています。例えばアヴェンタドールはV12エンジンをミドシップに搭載し、4WDで駆動する。モノコックはカーボンファイバー製です。このようなモデルは他のどのメーカーにもありません。常に顧客の期待を超えるものを開発チームは目指しています。
加藤 先日、サーキット専用モデルの「ウラカン LP620-2 スーパートロフェオ」に試乗する機会があったのですが、そこで感じたのはレース部門であるスクアドラ・コルセと市販部門の近さです。やはりサーキットからの技術のフィードバックは重要視されているということでしょうか?
ベルトリ 市販車とレースカーはとても密接に関係しています。ガヤルドの時代はまず市販車があって、それをもとにレースカーの開発が行われました。しかし、ウラカンではレースカーにすることを念頭に市販車とウラカンGT3などは同時に開発が進められてきましたから、同様のテクノロジーが採用されているのです。
加藤 ガヤルドからウラカンにモデルチェンジした際に、その性能向上ぶりにはとても驚きました。
ベルトリ たしかにそうですね。ウラカンはモダンで、素晴らしいハンドリングマシンです。ただ一方でガヤルドは2004年と10年以上も前に登場したモデルにも関わらずいまだに古さを感じさせません。そうした点もランボルギーニの魅力なのです。
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